全てのレイプサバイバーの、はじめの一歩を応援します。今、この時を生きる、全ての人へ。
 

 

体験談

 

あの日の、自分自身のために

 自分が性暴力被害者だっていうことを、そこまでひた隠しにしないでいられるようになったのは、本当にここ最近のことだ。言ってはいけないと思っていた。怖かった。言った瞬間に、目の前にいる人の顔が、きっと変わるだろうことが。今まで笑い飛ばして来た事を、もう一緒に笑ってもらえなくなる気がしていた。
 怖かった。「被害者」っていうレッテルを張られることが。可哀想って思われることも、うまくいかないことに対して「辛い事があったんだから、仕方ないよ」って思われることも、全部が嫌だった。だから病院とかも行きたくなかった。カウンセリングとかも受けたくなかった。被害にあった人の話も、聞きたくなかった。自分にあったことを、まるで無かったことみたいにしながら、「被害者」に見られないようにしてきた。
 でも、全然言う事を聞いてくれない自分の身体が、本当に嫌いだった。

 もう大丈夫だって何度も思おうとした。父親が自分にしたこと、まるで安物のAVでも見てるようなその光景。一体あれは、自分が何歳くらいの頃から行われていた事なのか、私はまるで思い出せない。ただ、その事を思い出す度に、身体が縮こまるような、今でも、気持ちがパンクして、死んでしまいたくなるような、そんな気持ちになる。世界には本当に、暗闇しかない、と思う。
 何度も何度も、助けを求めた。誰か気付いてくれないかなって、心の中で、ずっと助けを求めていた。すれ違う人たちに、どこかにいるかもしれない、心優しい人たちに。一度だって、通じたことはなかったけども。

 いっそ壊れてしまえばよかったのに。
 いっそ、殺してくれたらよかったのに。
 何度も思いながら、私はその事を、誰にも言えなかった。

 いつも自分に、そして周りにいる人に嘘をつきながら生きて来た。フラッシュバック、自殺願望、体調を崩す度に考える言い訳。仕事をしだしても、父親くらいの年齢の人に対してどうしても斜に構えるし、うまく関係が築けない。そうかと思うと、飲んだ帰りには何故か一緒にラブホにいたりする。なんにせよ、うまく関係が築けない。
 常にある自己嫌悪に、自分がどんどん嫌いになる。
 
 真夏、猛暑、クーラーも無い部屋に友達が遊びにきた。長袖を着ている私に訝しげな友達。腕は見せられなかった。昨日も切ったばっかりだった。リストカットしてるなんて言えやしなくて、「逆に、暑くない。健康の為と言うか」とか意味の分からない事を言いながら。友達は「もう、別にいいじゃん、隠さなくて」と言った。
 隠せて、いなかった、衝撃。
 「薄々、知ってた」と友達は言った。いつか話してくれるんじゃないかと、なんとなく待っていたけど、見るのも暑苦しいから言っちゃった、ゴメン、と、逆に謝られた。だからって別に話さなくてもいいから、と、本棚の本を持ち出して「つーか、この部屋暑すぎる」と言いながらソファーに横たわった友人を見ながら、ポツンと一人、泣けて来た。話しても、何も変わらない人がいた。
 その事は、すごく私を勇気づけた。でもだからと言って、自分の中にある苦しさが、そう簡単に楽になるわけでもなくて、ただただ、苦しい毎日は続いていた。それは時として激しい憎悪になり、激しい自己嫌悪になり、ただただ、過去の記憶に縛られる日々。どうにもならない現状に、パンク寸前の自分を抑えることなんて出来なかった。

 自分を傷つける事。人を傷つけること。快楽に突っ走る事、自暴自棄になりながら、もっともっとリアルを、もっともっとスリルを、とにかく強く、生きている事を感じていなければ、すぐにでも死ねる、と思った。

 あまりに症状が酷くて一週間ほとんど寝れていなかった時、家に帰る途中で貧血とかいろいろで倒れた。救急車を!という声がうっすらと聞こえて、それに対して「無理っ!大丈夫ですから!」と、どうにか立ち上がって歩き出した。目の前は、本当に真っ暗だった。いろんなものにぶつかりながら、とにかく歩いた。あの時無事家に帰れたのは、奇跡に近い。健康保険証がなかった。金が無くて。生活保護も考えたけど、どうしても親に連絡が行ってしまうと言われた。無理だった。そんな状態で働けるわけもなかった。公園で水汲んで、八百屋が廃棄した野菜食ってた。それでも限界は来て、病院に運ばれた時、傷だらけの腕を見て、医者は言った。「そういう甘えた態度が、人に迷惑をかけるんだ」。何も言えなかった、ただ、悔しいって思った。

 刑務所にでも入れたらいいと思った。誰も助けてくれない。どうしたらいいか分からない。アフリカの難民に寄付する前に私に金をくれって思った。ありがちな思考回路かもしれないけど、なんで、こんなに救いがないんだって思った。

 それでも生きて来たのはやっぱり、周りにいた多くの友人達のおかげなんだろうと思う。バカなことばかりしてる私に相変わらず普通に接してくれて、たまにゴハン食べさせてくれて、一緒に遊んでくれて、グダグダでも、何も言わずに一緒にいてくれた。携帯も止まっちゃって、家からも出れなくて、ただモガキ苦しんでいた頃貰った手紙にはこう書いてあった。「あなたのことを、大体週に一〜二回は、思い出します。」週一って上等だな、と、笑えた。一人じゃないんだって、信じさせてくれた友人たち。少しずつ、歩みを進めてきた。

 別に綺麗な話にしたいわけじゃない。私はこれでも運がよかったんだ。“被害にあったけども”いい友達がいたからっていうそれだけの、小さな救いがあった。それだけしか、なかった。
 
 被害にあった。それだけで、もう苦しむのは充分じゃないか。
 それ以上になんで、重荷を背負わされることになるんだ。
 なんで、こんなにも救いがないんだ。
 なんで、感情的になっちゃいけないんだ。
 なんで、わかってくれないんだ。

 誰がなんと言おうと、思おうと、被害者はやっぱり守られてない。このあまりに大きいリスクを背負った状況で、冷静に物事語るなんて出来ない。なのに、感情的であることすら許されない。じゃあどうしたらいい?死んだらいいんだろうか、と思う。でも死んでもきっと、「残された人の事を思ったら」だとか「死ぬ以外の解決策が」とか言われちゃうんだと思う。

 じゃあ「解決策」見せてくれよ。

 それを見つけるために、生きている気がする。まだ、終わらせずにいたい。
 意味の分からない暴力で苦しむ人たちが、一人でもいなくなる、そんな世界のために。私自身のために。

  2011年2月11日(金)掲載

 

  RC-NETについて
  性暴力について
  情報データベース
  紹介状
  体験談
  ブログ
  お問い合わせ

 

 

©RC-NET All rights reserved.
このサイト上に載せられた全ての文書・画像等の権利は全て RC-NET に帰属し、これらを無断で転載・使用された場合には即刻法的処置をとらせていただきます。